生きても地獄、死んだらどう?

コロナに罹った。

恥ずかしながら入院前まで「まあ自分は悪運強いしまさか罹患しないだろう」と思っており大した対策(マスク等)もせずに暮らしていたのだが、2か月頭を冷やした事によって思考がマジョリティ化し毎日うがい、手洗い、マスクの着用、必要以上に繁華街に行かない事を徹底していた。

四月半ばから何となく微熱(37度位)が出る日があったり、煙草を吸ったとき喘息のような症状が出たり、話す時息が苦しい等の症状があったが会社から配布されたPCR検査は陰性だったので(疲れが溜まっているのだろう)位に思っていた。ゴールデンウィークに差し掛かった頃、家族が陽性患者となり濃厚接触者として検査した所陽性が出た。

 

幸いネットやテレビで言われているような高熱や味覚嗅覚の顕著な異常は無かったが歯磨き粉が砂の味がしたときは本当に怖かった。

今まで散々インターネットでもリアルでも死にたいと言ってきた自分だったが未知なるウイルスに罹患してしまったことは本当に精神的にも肉体的にも辛かったし「もし朝起きて死んでしまったらどうしよう」と思ったらまだやり残したことが沢山頭に浮かんで涙が出た。

 

私の閉鎖病棟への直接的な入院の理由は「自身を傷つけ、それによって命を落とす可能性がある為」だった。

だけど高層マンションのベランダに立ってみても足が竦んで飛び降りられないし、首つりは苦しくて途中で挫折してしまうし、練炭は過程が面倒臭いし、もちろんリストカットオーバードーズなんて絶対に死ねない。

自殺に成功してしまった話を聞くだけだと「あっけなく逝ってしまったね」なんて言いがちだし本当に人が死ぬときはあっけない。

だけど人が持つあらゆる欲望のなかで「死にたい」を実現するのは本当に難しいのだ。

 

自殺未遂した患者に対して看護師や医者はとても冷たかった。それはそうだ。自分で勝手に失敗して国の負担を受けて療養してるんだから。

じゃあ死にたいわたしたちは暗い気持ちを抱えながら世間の隅で「死んだように」生きればいいのだろうか?

 

一度希死念慮を持つと癖になり、事ある毎に自らの死を願ってしまう。

母はこれを「悲劇のヒロイン症候群」と揶揄する。

生きることは苦しい。普通って何か分からないけれど大多数と同じ行動が出来ずにどこへ行っても浮いてしまうのは少なからず普通ではないだろう。

死にたいのに今日も3食食べて寝て明日は出来れば仕事へ行きたい。

だけど今も心のどこかでこのマンションから飛び降りたいと思っている。怠惰で意気地なしな私は「でもなあ、もう保護室は嫌だしなあ」と何やかんや理由をつけて生きている。

多分死んでも苦しいんだろう。先に死んでいった友よ、そっちの世界はどうなんだい?

教えてくれよ。楽しいか辛いかだけでいいからさ。そしたらこっちも少しは楽になれるのにな(笑)